指輪の記憶
The Memory of the Ring
その指輪には、生まれた記憶がありました。
それは、遥か昔の、かすかな記憶。
願いが込められた、
小さな、小さな記憶です。
「誰かの幸せを見届けるために、
君は生まれたんだよ。」
職人は微笑みながら、
どこか誇らしげに言いました。
けれど、指輪は
「幸せ」というものを知りませんでした。
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指輪は、ガラスケースの中で
毎日光っていました。
人々が通り過ぎ、笑い、恋をしていく。
たくさんの指輪が旅立っていくのを、
ただ見つめていました。
人々は指輪を前にして言いました。
「幸せだね」と。
けれど、指輪は
「幸せ」の意味を知りませんでした。
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ある日、ひとりの女性が
恋人とともにやってきました。
「これがいいわ。」
女性は微笑みながら、
指輪を手に取りました。
世界が、初めて温かくなりました。
光がやさしく、
肌のぬくもりが心地よく感じました。
女性とともに笑い、
恋人と歩くその指の上で、
指輪はたくさんの光を見つめました。
──これが「幸せ」なんだ。
指輪は、そう思いました。
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けれど、ある日の夕暮れ。
女性は泣いていました。
指輪を握りしめ、海へと走っていきました。
波が砕け、涙が落ち、
指輪は青い底へ沈んでいきました。
あれは、「幸せ」ではなかったんだ……
指輪は、静かに思いました。
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やがて、海の底で
光を見つけた人魚がいました。
「まぁ、なんて綺麗なの。」
人魚は指輪を抱きしめ、
宝箱の中にしまいました。
毎日、笑って暮らしていました。
けれど時々、
海の向こうを見つめて、
寂しそうにため息をつきました。
「幸せ」とは何なのか。
指輪は、分からなくなりました。
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ある日、人魚に友だちができました。
人間界に暮らす、若い魔法使いです。
ふたりは語り合い、海面を見上げ、
夜の光に手を伸ばしました。
──今度こそ、これが「幸せ」なんだ。
指輪は、そう思いました。
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けれど、ある日。
人魚は微笑みながら言いました。
「この指輪、あなたにあげる。」
魔法使いは、少し悲しそうに笑いました。
その小さな指輪を、胸に抱きしめました。
それが、ふたりの最後の時間でした。
これは本当に「幸せ」なのだろうか。
指輪は、静かに悩みました。
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時が流れました。
魔法使いは街にお店を開きました。
「魔法使いの指輪」と呼ばれる
そのお店の棚の上で、
指輪は今日も静かに輝いています。
そこには、笑顔があります。
誰かが愛を伝え、
誰かが驚き、
誰かが涙を流して、そして笑う。
そのたびに、指輪はそっと光ります。
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指輪はようやく理解しました。
「幸せ」とは、
自分の中にあるものではなく──
誰かの心に、灯る光なのだと。
だから今度は、
指輪がその光をあなたに贈ります。
これは、長い旅をしてきた指輪からの、
心の温まるプレゼント。
あなたの「幸せ」が、
どうか輝きますように。
指輪は今日も静かに、
あなたの「幸せ」を見届けています。









